エナガ(柄長) 生きていくためには
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2枚目の画像をご覧いただきたい。
エナガが幹にしがみついている。
何をしているのだろうかと思っていた。
PCで拡大画面を見て分かった。
ちいさなさなぎを食べていたのである。
エナガはひらりひらりと枝から枝へ飛び移るが、別に好きでそんなことをしているわけではないのだ。
餌を求めて動いているのであろう。
鳥は食べてから短時間で排泄する。身体を軽く保つためだという。
だから絶えず食べていなければならない。
1日の大半を餌探しに当てているということを何かで読んだことがある。
ピクニック気分で遊んでいるわけではないと。
鳥が生きていくためには食べ続けることである。
鳥の死を表す言葉に落鳥というのがある。
枝に掴まっておれずに落ちてしまうこと、即ち死を意味する。
鳥は生きることに必死だから、その姿が美しく映るのであろうか。
可愛いお目めしていますね。
本当にいい写真ですね。
生きている目的みたいだと思いますね。
それこそ生き物の崇高な生き様みたいな・・・。
このエナガも必死なんですね。良くわかります。
私もどんなものを食べているのか今まで見たことがありませんでした。
いつも餌取りにいい天気ばかりとは限らず、大風の日も大雨の日もあるでしょう。
そんな時でも、とにかく生きていくためには餌をとらねばならず、大変だなと思います。
全部食べることはないでしょうね。
メジロの場合だと、少量ずつ食べて移動しながら次々と別の餌を食べているようです。
食う方も食われる方も日々生き延びるための戦いですね。
何でも動物は本能に基づいて生活をしているのでしょうから 食べるのも必死 餌を探すのも必死ですよね。
あの大きなゾウさんでも1日の大半を食べることに費やします。
厳しいですね。
鳥は自分の生き方を厳しいとか大変だとかは思ってないでしょうね。
毎日のしごく当たり前に繰り返される日常。
外敵に襲われることも、自然の災害にまきこまれることも、不慮の出来事に遭うことも。それらすべてがひとつの生の流れの中で終わったり、そして始まったり。
それが自然の中の生の営みなんでしょうね。
エナガにはエナガの、ヒヨドリにはヒヨドリの、事情ってものがあるんでしょうね。
そんなことはちっとも考えずに、考えられずに、人は自分勝手に言ったりしたり。
もともと生きるってことはエゴイスティックなことでしょうけど。
冬の季節は虫も少ないから、生き延びることが小さな鳥には厳しいですね。
でも、やっぱりエナガはとても楽しそうに見えます^^
そうですね。鳥は人が見ているようにはそうそう楽な暮らしではなさそうです。
その時その時を精一杯生きている、という気がします。
だからこそ楽しく見えるのかも知れません。
鳥が生きていくのに迷いはないでしょうね。
非繁殖期には自分の命を守り続けていくこと。
繁殖期には恋人を得て慈しみ合い、子を育てていくこと。
人は迷ったり惑ったりしてともすれば生きていく道がわからなくなったりします。
そんなとき、自然の中に浸ると、はっとすることがあるように思います。
こんなに可愛くて、楽しい物だとは気が付きませんでした、
毎日夢中に野鳥の観察をしています、
此処は珍しい野鳥が多いですね
↓をジックリ見させて頂きます、又、楽しみに伺います、
おいでいただきまして、ありがとうございます。
野鳥には底知れぬ魅力があり、私もすっかりそのとりこになってしまいました。
いえ、私が撮っているのはほとんどがどこの公園でも見られる鳥さんです。
たまに珍しい鳥が入ったとの情報を受けて撮りに行くこともあります。
ただ私のモットーはあくまで身近な鳥の様々な表情を撮ることです。
後ほど、伺わせてもらいます。
自分のことは自分でしなければなりません。
枝に止まっている時もボーっとしているわけではないのですね。
見習うことが多いです。
姫なんか1日ボーっとして餌を運んでくれるオスを待っています。笑)
野鳥は餌を探して食べることがいちばん大事な仕事ですから。
あはは、姫は餌を運んできてくれるオスを待っているのですね。
私はメスの作ってくれる餌を口を開けてボーと待っています。
そして、反対になってとまっているところ、良いですね、初めて見たように思います。
この季節はまず生き抜くことだけでも大変な時期ですから、それぞれ大変なことではないかと思います。
それぞれ、春までもう少し、頑張って欲しいものですね。
エナガ、よく鳴き声を聞きますが遠くて撮れないことが多いです。
近くに姿を見せて、撮りやすい高さの木に移動してくれるとき、やっと何とか撮れる感じです。
でも、出たとこ勝負みたいなもので、画像を確認するまではどんな写りなのかも分かりません。
鳥たちにとっては冬場を生き抜くことがもっとも厳しいでしょうね。